2017年5月26日金曜日

10楽章 裏ら

「俺の、魚を……かえ……せ……」

「あー、大丈夫? 息きれてるけど」

 このおじさん、さっきまでの勢いは何処へやら。手を膝につけて「ぜぇー、はぁー」と呼吸を乱している。

「うっせぇ! いいから早くそいつを返しやがれ!」

 と、おじさんはイワシ目掛けて素早く手を伸ばしてきた。あたしはそれをひょいとかわしながら、「えー。でもそこで拾ったんだよー?」と言う。

「あぁ! てめぇ、さんざん奪っておいてよくそんなことが言えたな!」

「え、えぇ? どういうこと? あたし別に奪ったりなんかしてないよ?」

 そう言うと、おじさんはより一層怒りで顔をにじませる。

「まだしらを切るつもりか。夜な夜な縄張りに入り込んできておきながらよぉ!」

「えー。そんなことしてないって」

 うーん。多分誰かと間違えてるんどろうなぁ。まともに話ができる感じじゃなさそうだし……。

 ふと、足元の茂みに目が止まった。
 
 そういえば、あの狸が逃げ出した時、茂みの中から何かが飛び出てきたような。

「そうだ! 狸だよ! 狸が盗んだんだよ!」

「はぁ? んなもんこの島にいるわけねぇだろ!」

 と、せっかくの名案も一言で切り捨てられる。

「あれ、そうなの?」

 おかしいなぁ。確かに狸っぽかったんだけど。

「じゃあさ、確かめてみようよ」

「あ? 何をだよ」

「盗んだのがその狸かどうかをさ」

 濡れ衣であることを証明するには、これが1番さ。それに楽しそうだし。

「だから狸はいねえって。それより早く返せ!」

 懲りずに奪い取ろうと出してくる手を避け、あたしはイワシをかぶっていた帽子の中に隠す。

「もし本当に狸が盗んでたなら返してあげるね」

「な……はぁ。ったく面倒くせぇ」

 無理だと悟ったのか、おじさんはあたしからイワシを盗もうとするのをやめた。あたしだって、言いがかりで取られるのは嫌だからね。

「で? その狸ってのはどこにいるんだ?」

「あっちの方に逃げてったよ」

 あたしは狸が走り去っていった畦道を指差した。すぐ先には森が待ち構えている。あの中に逃げ込んだはず。

「げっ、あそこに入っていくのか?」

「何? 怖いの?」

 煽るように言うと、「いや、そういうわけじゃねえんだが」と少し思案顔を見せる。ただ、目つきの悪さに拍車がかかって、獲物を狙う猛獣のようにも見えた。というかこのおじさん虎っぽい。

「まあいい。さっさと済ませてやる」

「うん! その意気だ!」

 そう言って、あたしたちは森の中へ足を踏み入れた。


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